発売元が二転三転し、長く待たされた本書。渡辺温のイメージにぴったりのロシア構成主義的な最高のカバー・帯デザインに東京創元社の力の入れ具合がよくわかる。しかも今回黒岩涙香の訳をリ・モデルした「島の娘」を筆頭に、単行本初収録作を多数投入。
よく知られた「可哀相な姉」「兵隊の死」はもとより、デビュー作「影」をはじめ、活動写真(=映画)が彼の素地にあるのが、一冊に纏まってより浮彫りになった。ひとつところに定着しない(できない?)性格なのか、講談社を半日で退職 → 博文館入社 → 翌年退社 → 再び博文館復帰。横溝正史曰く「いやしくも書かん」の男であったが、この人が創作長編を書いていたら果たしてどんなものが出来ただろう?
渡辺温といい中村進治郎といい、『新青年』黄金期のシンボルたる彼らがこぞって不幸な短命に終わってしまったのは偶然?それとも宿命だったか?温の死後、モダニズム〜エロ・グロ・ナンセンスを経て、日本は重く暗い時代へと傾斜してゆく。この伊達男ふたりが野暮な軍服・国民服を着ているなんて、とても想像がつかない。間違いなく渡辺温は束の間の幸せなモダン・エイジの象徴だった。初めて温を知った方は、実兄・渡辺啓助の自伝ともいうべき『鴉白書』も併せて読んでみてほしい。
横溝正史との共同ペンネーム「霧島クララ」名義作品のうち、過去の温の著書収録分のみが今回は収録された。正史と温、両者の著書に過去収録されていない「霧島クララ」名義のものは今後も放置されたままなんだろうか?こういうものをキチンと掲載提示して検証を進めるのが『横溝正史研究』だと思うのだが、金田一耕助とその映像にしか目が向かぬ二松学舎大学のド素人研究ぶりはなんとかならないものか。
(銀) 谷崎潤一郎「春寒」などの証言から、渡辺温の載っていたタクシーが夙川の踏切で貨物列車に衝突された不幸な事故の状況を知ることができる。同乗していた楢原茂二(長谷川修二)も負傷はしたが命には別条はなかった。車に乗っていた位置がちょっと違ったりすれば、ふたりの運命は全く違ったものになっていたかもしれない。