「撮影所殺人事件」は映画、「亜米利加発第一信」がタイプライターを用いた指力型推理、「探偵法第十三号」でアリバイ工作、「遅過ぎた解読」に暗号を扱う一方、日本的な趣で迫る〝長唄もの〟の「ながうた勧進帳」「両面競牡丹」「京鹿子娘道成寺」があるのがユニーク。
作品によっては「これ、幻想系で押した方がいいのでは?」と一見思えるものさえロジカルな解決を付けようとしている。そこが良くも悪くも彼らしい。はじめは本格路線を守りたい矜持がそうさせているのかなと思ったが、実は変格ものが書けない気質なのではないだろうか。「ながうた勧進帳」「京鹿子娘道成寺」にしろ「ある完全犯罪人の手記」にしろ、結末を劇的に持っていく盛り上がりが、もう一手欲しいところ。
本巻は他の巻と異なり《創作篇》は全体の半分しかない。生前発表作の数が少ないのと、遺族が遺稿を論創社に持ち込み刊行を打診して発売が決定したからだが、《遺稿篇》の中では戦争指導者への怒りを語る「異聞 瀧善三郎」が印象に残った。「猫屋敷」は上手くやれば良い幻想譚になると思うのだが、それには酒井嘉七の筆はやはりドライな気がする。ミステリ・ファンの立場からすると、M.G.エヴァハート「霧中殺人事件」の翻訳をまるごと収録してくれてもよかった。(序文のみ本書収録)
まあでも、こんなに家族に作品を大切にしてもらえて酒井嘉七は幸せな人だ。本巻は論創ミステリ叢書の読者向けである以前に、遺族から天上の故人へ捧げられた一冊と言っても過言ではないだろう。
(銀) 故人作家の本を出そうとして一度ラインナップが決まった後に遺稿が発見され、それを事前に予定していたものと差し替えたり、あるいは無理やり押し込んだりする事がある。
論創ミステリ叢書で初めて作家が生前発表していなかった遺稿等を収録するようになったのは、久山秀子の巻の時だったと思う。そんな場合でも随筆なら何も問題はないし、また今回の酒井嘉七のような単行本一冊作るのに既発作だけでは足りない場合、探偵小説でないものを入れざるをえないのは納得がゆく。だがレアだからといって、考え無しに探偵小説ではないものや作家の家族の作まで収録してしまうのはどうかね?本巻が刊行された頃は横井司と担当編集者が、その辺よく見極めていたものだが。