◓ 『新青年』研究会主要メンバーで、今年の前半に神奈川近代文学館にて開催された企画展「永遠に『新青年』なるもの」に尽力した成蹊大学文学部の浜田雄介教授を迎えて講演を収録、Youtubeにて配信されたその映像を観る。立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの現センター長/石川巧が聞き手、センター助教/丹羽みさとが司会を務める。公開期間は2022年2月いっぱいの予定。
第一部のテーマは『新青年』研究会の軌跡(約46分)。1970年代の探偵小説リバイバルに始まって、『新青年』研究会発足に至るまでの丁寧な状況説明を冒頭に据え、浜田の個人的な想い出も交えながら話は進められる。そうそう最初の頃は『「新青年」研究』という月報みたいな薄い冊子がプレ機関誌だったんだよねえ。三十五年も前、浜田に「新青年」研究会の存続を申し付けた川崎賢子は改めてエライ。更にいうなら遥か昔、「新青年」研究会のような活動の元祖ともいうべき大衆文学の研究を普及させた尾崎秀樹は(この講演で触れられている訳ではないが)もっと偉かった。
第二部のテーマは、神奈川近代文学館企画展「永遠に『新青年』なるもの」の裏話(約58分)。世田谷文学館企画展「横溝正史と『新青年』の作家たち」を皮切りに、それから現在まで各地で開催されてきた探偵小説企画展の主なるものをひとつひとつ振り返りながら、今年の「永遠に『新青年』なるもの」展の話題へと繋げてゆく。その「永遠に『新青年』なるもの」展の、実際に展示された方向性に落ち着くまでの途中で勘案されてはいたけれど結局ボツになったテーマもチラリと披露。
◓ 浜田がほぼ一人で話し、第一部/第二部の終わり十数分に聞き手が加わって、質疑応答を交わすといった構成。話し慣れない人が長時間ずっと喋り続けるのは結構大変だし、浜田教授さぞお疲れだったろう。その聞き手の石川巧が第一部の終わりで「自分(石川)は森下雨村~江戸川乱歩往復書簡を読んだのだが、双方の間に親密な空気が全く感じられない。江戸川乱歩が『新青年』から離れていったのは、昭和四年の「悪夢」(芋虫)を書いた時、編集部に大量に伏字にされたり、タイトルを変えられたからではないのか?」という質問を発射。この珍説に対し、浜田は若干呆気にとられつつも相手を傷つけないよう、やんわりと否定する。なんだかなあ。石川巧がこんな拍子抜けする持論を言い出すなんて思ってもいなかったぜよ。
◓ 唯でさえ今年は『乱歩とモダン東京』『江戸川乱歩大事典』といった乱歩研究のお膝元・立教大学の人間が中心となって制作された本がなんともズサンな内容で、こちとら辟易させられたというのにさあ。藤井淑禎が去ったあとの現センター長がまたこんな不勉強な持論を口にするようでは江戸川乱歩センターは今後も先が思いやられる。何故いっそのこと(先に名前を挙げた)川崎賢子をセンター長にしなかったのだろう?おまけに浜田雄介までもが、この講演の中で藤井淑禎をヨイショしてたりして、ホントに日本人は明らかに違うものに対してはっきり「違う」と言えない国民だ。
それと第一部では企画展「永遠に『新青年』なるもの」のタイアップで浜田や『新青年』研究会が編纂したちくま文庫『「新青年」名作コレクション』の話もしていて、しょうもないAmazonレビューでの極端な賛否についてまで言及。『新青年』研究会には過剰に世評を気になさる方がおられ浜田もそのひとりみたいなんだけど、Amazonのレビューなんて公衆トイレの落書き以下のものなんじゃないんですかね、浜田教授?そういうのは銀髪伯爵とかいう輩の噂を耳にされて既に学習済みだと思っていたんですが。冗談はともかく、ユーザーの意見を重んじる態度に敬意は表しますが、今回の講演でこの部分は100%不要だと思いましたヨ。
(銀) 講演の中で浜田は「もう一線から身を引いて好きな事に専念したい」というような意味の発言もしていた。仰せのとおり、新しい人若い人が後を継いでゆくのが理想的ではある。でもねえ、以前の記事でも書いたけど『新青年』研究会の最近のニューフェイスって大学に所属する人ばかりでしょ? そしてそれが原因なのかわからんけど、大学では論文を発表しなければならないせいか、下手すると斬新な発見を一発かまして評価を求めるあまり、噴飯物な説が多い気がして。その極端な例こそが前・江戸川乱歩センター長だった藤井淑禎の「旧乱歩邸土蔵名称=幻影城」であり、上記の石川巧な訳で。このままだと立教の乱歩研究は二松学舎大学の横溝正史研究の後塵を拝してしまうぞ。