本叢書、祝・第100巻。90年代半ばから始まった横溝正史の拾遺集刊行も、本巻目次を眺めると残り滓の感はさすがに致し方ないところ。
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松野一夫の挿絵を全収録した幼年向けの絵物語「探偵小僧」(びゃくろう仮面 vs 三津木俊助・御子柴進)が本巻の半分を占める。
少年ものでは、「仮面の怪賊」は三一書房『少年小説大系7少年探偵小説集』以来の収録。「王冠のゆくえ」「十二時前後」(同名の大人ものもある)は単行本初収録。「博愛の天使 ナイチンゲール」は博文館勤務時代に少年誌の附録本として書かれたもので非探偵小説。薄っぺらい形状をしたこれのオリジナルがヤフオクに出品されると、ありえない金額で落札されたりもするが、いくら正史のレアアイテムとはいえ、無謀な出費をする程の内容ではない。本巻で読んで誰しも「ああ、無駄金を使わなくてよかった」と思うだろう。
金田一耕助譚からは「不死蝶」の単行本で加筆される前の初出誌ヴァージョン。
警察サイドが元は橘署長だったんだな。でも存在感は殆ど無く。
最後は未完に終わった作品集。少女雑誌に載った「猫目石の秘密」は、竹中英太郎が普段よりも写実的でステキな挿絵(本巻では見られない)を描いており、連載一回で終わってしまって惜しい。一方、長篇になる筈だった「女怪」。宿命的な悲劇が主題だったのかもしれないが、一向に事件も発生せずダラダラした印象で正史らしくない。初期のキャラ山名耕作によく似た名の山名耕助という男が登場するが、正史の頭の中では同一人物だったかどうか?
本巻で最も良かったのは、「蝶々殺人事件」に次ぐ由利・三津木シリーズ戦後第二長篇になり損ねてしまった「神の矢」。敗戦の前後でコロっと180度変わってしまった日本人の意識をシニカルに語り、〝 デカダンスの泥沼 〟と設定した高原の旧避暑地を舞台にしている。のちの金田一もので描かれる「中傷 → 殺人」パターンが、早くもここで登場。垂れ込める霧の雰囲気も申し分なく、正史の吐血によって中絶したのが残念でならない。「失はれた影」も同様に病状の為の中絶。
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昨日の記事にて「正史の落ち穂拾いには厭きた」と書いたが、本巻に収められた中絶作への関心はまだある。その中でも、あれだけ快青年だった三津木俊助が坊主頭で復員してくるという、戦前の彼のイメージを覆すショックを与える「神の矢」は是非最後まで読んでみたかった。一方、数年前にその存在を仄めかされた謎の作品「雪割草」の収録を今回の隠し玉として渇望していたのだが実現せず。発表された初出誌さえも明らかにされてないのだから、過度の期待はしないでおくのが無難か。
(銀) 内容が探偵小説でなくとも世に出るのを楽しみにしていた「雪割草」は、本巻の二年後(2018年春)に単行本がめでたく発売された。横溝正史という探偵作家が書いていなければ、読む事もなさそうなストーリーだが、これはこれでそれなりに楽しめたし、暇があったら再読してみたいとも思っている。
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それでどうしても言っときたいのは、『雪割草』が発売される前、2017年暮に作品発掘の正式発表がされた時のメディアのバカ騒ぎでね。本日の記事を書くために、録画しておいた当時のNHK『ニュースウォッチ 9』を見直してみた。
「雪割草」の中の一シーンにて、探偵でも警察でもなく登場人物のひとりにすぎない日本画家の男の身なりが、「くちゃくちゃになつたお釜帽の下からはみ出してゐる、長い、もぢやもぢやとした蓬髪、短い釣鐘マントの下から覗いているよれよれの袴」と書かれている。
ただそれだけの描写を二松学舎大学の山口直孝が拡大解釈してしまい、「ここに金田一の原点があった」「日本画家だけど芸術家として時代の波にもまれて悩んでいるというところに横溝の当時の思いが反映されている」なんて放言するものだから、桑子真帆もスタジオで「金田一耕助が画家として生まれたキャラクターだなんて、ホントに驚きましたよね~」とリアクション。
・・・・・・・我田引水、では?
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二松学舎大のセンセイは例によって金田一耕助を持ち出す事で話題にしたかったんだろうけど、昭和初期の成人男性はああいう帽子やマント(外套)を割と普通に身に纏っていたのをご存じないのだろうか? 更に、別の角度からも指摘できる。横溝正史自身「本陣殺人事件」第八章の冒頭にて次のように書いているので、ご覧頂きたい。
~ その時分東京へ行くと、こういうタイプの青年は珍しくなかった。早稲田あたりの下宿にはこういうのがごろごろしているし、場末のレビュー劇場の作者部屋にも、これに似た風采の人物がまま見受けられた。これが久保銀蔵の電報で呼び寄せられた金田一耕助なのだ。
(出版芸術社 横溝正史自選集『本陣殺人事件/蝶々殺人事件』58頁より)
金田一を作り出す際イメージしたのはまず菊田一夫、そこに城昌幸の和服姿をわざと貧相にしたようなテイストを加味したって、あれだけ正史はエッセイに書いてたでしょうが。モジャモジャ頭は初期の明智小五郎を真似たと言ってもいいけど、それ以外の金田一の外見は(小説の中では目立つものの)あの時代だとそこまで特殊でもない身なりだし、それでいて決して天才とも美男子とも見られようがない ❛ 只の人 ❜ な感じに設定されている。だからアントニー・ギリンガムが引き合いに出されている訳で、たまたま似たような風采の男性が「雪割草」に登場していたから作者の無意識のプレ金田一イメージがそこにあったと解釈するのは、無理がありはしないか。
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もしも正史の遺品の中から、「実は金田一のモデルの出所は戦前の『雪割草』で・・・」と生前に語っている証拠が出てきたなら素直に信じてもいいけど、どう見てもこれは「江戸川乱歩は自宅の土蔵を〈幻影城〉と呼んでいました」なんていうのと同じレベルの山口直孝による妄想が、あたかも事実にすり替えられて報道されたようにしか思えませんな。