小栗虫太郎ガイドブック本と呼ぶには、通り一遍な全作品の簡単な粗筋と読みどころを紹介するような構成を本書はとっていない。しかし彼の小説を読むほどの晦渋さは無く、虫太郎にトライしようとする人はおそらく或る種の偏屈さを持ち合わせているだろうから、丁度いい塩梅なのではないか。
ここでは昭和11年の春陽堂文庫版『完全犯罪』に収められていた「コント」や小文の「馬來風物誌」が旧仮名のまま復刻されていたり、また東雅夫・山下武・長山靖生・荒俣宏らによる論考、及び虫太郎読書体験もあり。横田順彌は「難しくついていけなくて人外魔境シリーズ以外は投げ出した」と告白、西原和海は「読んでいるとなぜか途中で眠くなってしまう」と語る。この二人はわりと正直だ。二上洋一による児童ものとしての「成層圏魔城」、田中邦夫が分析する虫太郎ペダントリーの意味解読も為になる。
本書の白眉は虫太郎令息・小栗宣治による「小伝・小栗虫太郎」と、虫太郎研究者・松山俊太郎vs 本書の責任編集者・紀田順一郎による対談。前者は虫太郎の人間性・来歴・日常が絶対的肯定調で述べられていて面白い。後者は教養文庫版『小栗蟲太郎傑作選』全五巻を編集・校訂した松山が魔境ものをあまり評価していないだけでなく、法水麟太郎ものも概してあまり好きではないなんて洩らしているヒネクレぶりに苦笑する。
普段から「悪文」だと言われるのに、特集本でさえこんな意見が飛び出してくるのだから、小栗虫太郎は実に厄介な作家だ。ただ単なる礼賛に終始するより、こういう本音も読めたほうが信頼できる。虫太郎のあのゴテゴテして何を言ってるのかよくわからん文章が嫌いだという探偵小説ファンも、この本は手元に持っていて損はない。