1940年、第二次世界大戦の頃。国策が非論理的過ぎた我が国日本では「探偵小説などまかりならん!」「この聖戦下に男女の不倫などけしからん!」などと、愚にもつかぬ〝自粛〟が蔓延していました。一方、結果的に戦勝したとはいえ英国では本作のようなエヴァーグリーンな本格探偵小説がガンガン書かれていたのです。勝てぬケンカ(戦争)は早々に手を引いとけば国土も焼かれず、今残存しているより何十倍何百倍もの戦前の美しい本や雑誌が残存したろうに・・・。
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英独が開戦しナチスがいつ侵攻してくるかわからない物情。夜間において、上空の敵機から集落がバレないよう灯火管制が敷かれているこの物語のシチュエーションを現代の読者は正しく把握できているだろうか?カーが執筆した頃の英国の状況がたまたま非常時だっただけかもしれないけど、本作ではそこにも意味がありノース・デヴォン地方リンクーム村の闇夜は一層暗く、その中に潜む者を包み隠す。当時の英米関係さえも、実はある人物の行動の謎を解く手掛かりが隠されている奥深さにシビレる。
ウェインライト夫人であるリタとバリー・サリヴァン、不倫関係にあるふたりが心中したとみられる〝恋人たちの身投げ岬〟の描写からして、瓶を投げつけられたヘンリ・メリヴェール卿の座る電動車椅子が崖から落下しそうになる場面もただのコメディ要素なだけではなく、眼下70フィート(約20m強)の崖の高さを無意識のうちに刷り込まれるから、読者はすっかりカーの術中にはまってしまう。
上手いね~、真犯人は実に巧妙に隠されて。
気になった点はふたつの証拠物件のみ。詳しくは書かないが、スティーヴ・グレインジ弁護士が道で拾う〝或るもの〟と〈海賊の巣窟〉という名の洞窟に残っていた〝或るもの〟。これらの扱いについてはもう一押し、登場人物のスムーズな行動の結果に見えるよう完璧に仕立ててほしかった、ウン。江戸川乱歩でいうところの〝あくどい体臭〟が無い「何者」に対し〝いつもの大仰な怪奇性〟を使わなかったカーの本作、私はどっちも高く評価している。
リタ・ウェインライトの遺書の部分をこの創元推理文庫(創)と昭和30年代のポケミス(ポ)で比較してみるとこうなる。
(創)「ジュリエットは貴婦人として世を去りました。
責めないでください。邪魔もなさらないで。」
(ポ)「ジュリエットは操を立てて死にました。さわがないでください。
責任のなすり合いもなさらないで。邪魔もなさらないでください。」
原題『She Died A Lady』を『貴婦人として死す』と最初に訳したのはポケミス版の訳者・小倉多加志だ。英書を持ってないからこの部分の原文もわからないけど、どっちの訳が正確?
ただ、これだけは言える。〝Lady〟に〝貴婦人〟の意味は勿論あるが、日本語でいう〝貴婦人〟とは高貴な身分の婦人のことでしょ。書名を『貴婦人として死す』にすると見栄えが良くなるから営業的には望ましい。しかしリタ・ウェインライトは決して高い身分でもなければそこまで誇り高き性格にも書かれていない。
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Amazon.co.jp のカスタマー・レビューにて幾人か本書の感想を寄せておられる中、ひとりだけ本を読みもしないでいつもレビューを投稿している人物が〝貴婦人〟という言葉の表面的なイメージから思いついたのか〝エレガント〟などと筋違いな事を書いている。思慮深く読んだ人ならおわかり頂けると思うが、本作の〝A Lady〟は〝貴婦人〟というより〝(ひとりの)女として〟と受け取るほうが正しいのでは? あなたはどう思いますか?
(銀) 特に付け加えることもないカー長篇五本の指に入る大傑作。〝本を読みもしないでレビューを投稿している人物〟ってのはAmazon.co.jpレビュー欄にいつも出没する Nodyとかいうレビュー業者のこと。その手のインチキ・レビュアーについては後日、栗田信『醗酵人間』の項などで記す機会があるだろう。