2025年4月28日月曜日

『針の館』仁科東子

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光文社 カッパ・ノベルス
1960年12月発売



★  人間以上の悪魔はいない




高木彬光繋がりで、今回は仁科東子
のちに仁科美紀とペンネームを変え、長篇小説「青春高原」を自費出版。プロの作家として稼働した時期はあったのか、その辺よくわからない。雑誌『宝石』連載「成吉思汗の秘密」に接した仁科は翌昭和34年、短文「成吉思汗という名の秘密」を同誌に投稿。そのような縁あって、本書カバー袖には高木彬光による激励の言葉が添えられている。しかしこの処女作、そんじょそこらのスリラーと毛色が異なり、夢野久作「ドグラ・マグラ」が仄暗い御伽話に思えるぐらいリアルな人権蹂躙のドキュメントなのだ。

 

 

主人公・斉藤今日子は継母と二人暮しの身の上。その継母の姉は雪下家に嫁いでおり賢夫人との聞こえも高かったのだが、突然急死。雪下家の主人は既にこの世の人でなく、そうなると駿河台にある敷地三百坪の豪壮な邸を管理する者が必要なため、継母と今日子は雪下家の住人になる。そこへ代々の主と異なり蒲柳の質っぽい唯一の跡継ぎ・雪下透が京都の大学院を卒業して帰ってきた。透にとって今日子の継母は伯母にあたる筈なのに、心を許そうとする気振りが無い。ちなみに作中、この継母(透にとっての伯母)には名前が与えられていないので、便宜上〝継母〟と呼んでおく。

 

 

今日子と透は次第に愛を育むようになるものの、継母は快く思っていない。それというのもこの女、透の父が亡くなった戦時中から秘かに雪下家の財産を狙っている腹黒い奴で、姉である雪下夫人(=透の母)ばかりか十四歳で夭折した透の妹の死についても関与の疑いがあった。今日子との結婚を申し出る透に「NO」を突き付ける継母。遂に彼女は本性を現し、最大の邪魔者である透を精神病院送りにする。透を救い出すべく精神異常者を装って同じ病院に入院した今日子だったが、そこは想像を絶する地獄の檻の中・・・。

 

 

仁科東子は三ヶ月ほど患者として精神病院に入った体験があり、隅々までリアルに文章化された精神病院内の様子は取材で得た情報や頭の中の想像などではなく、自身の目で見たものそのままなのだそう。本書を読んで、私は戸塚ヨットスクールを連想した。家族の中の厄介者が逃げ場の無い収容所に押し込まれ、最悪の場合、治療という名目のもと殺人にも等しい行為が行われる点でアレと似ている。しかも「針の館」では第三者の悪意によって健常者である透や今日子が重病扱いされ、電気ショックを度々喰らう。こうなるともうアドルフ・アイヒマンのミルグラム実験みたいなやり方を用いた拷問でしかない。

 

 

そもそも雪下透は健常者でありながら、どんな陥穽で精神病院に入れられてしまうのか、加えて脱走不可能な精神病院からどうやって今日子と透は娑婆に戻るのか、はたまたこの二人に幸せは訪れるのか、それはぜひ本書を読んで確かめて頂きたい。ただ、高木彬光が勧めるサスペンスの愉しみよりはるかに精神病院内の陰惨な話がヘビー過ぎて、仁科東子に非は無いけれど、読み終わった後なんともイヤ~な感じしか残らなかった。この内容では商業出版社からの復刊はまず有り得んでしょうな。

 

 

(銀) 「人権、人権」と声高に言う輩が私は大嫌いだが、今回ばかりは人権蹂躙という言葉を使わざるをえなかった。

作者自身どういう理由で精神病院に入ることになったのか、明らかにしていない。まさか雪下透同様、親族に嵌められてたら、たった三ヶ月じゃ退院できないもんね。精神病院のエグい内容につい気を取られてしまうが、初めての長篇ゆえ文章の拙さが伺える箇所もところどころあり。






2025年4月23日水曜日

『復讐鬼』高木彬光

NEW !

東京文藝社
1955年6月発売



★★   竜頭蛇尾




高木彬光は文章の運びがそれほど達者な作家ではない。処女作「刺青殺人事件」を読んだ江戸川乱歩は感想の手紙を彬光へ送る際、「探偵小説としてはたいへん感心いたしました(ただし小説としては上出来にあらず)。」と筆の難点にやんわり釘を刺している。三回に分けて『宝石』へ発表された本作、黒岩涙香テイストを盛り込み戦前風怪奇小説路線を狙ったコンセプトには何の不満も無い。にもかかわらず、この時期の彬光はよほど多忙、或いはコンディションが良くなかったのか、自身の小説下手をモロに露呈していて残念。

 

 

波瀾万丈な物語を想起させる、昭和30年の探偵小説らしからぬ雰囲気の幕開け。朝比奈寿の秘書として雇われた語り手の郡司省吾青年が松楓閣へやってきて、この富豪一族のただならぬ内情が少しずつ明らかになる出だしは順調。ところが読み進むにつれ、小さくない違和感に次々出くわしてしまうのだ。例えば松楓閣に隠されていた秘密の地下室を意味ありげに〝神秘の扉〟などと呼ぶのは先の展開を考え合わせると完全にブレており、四番目の単行本(昭和35年刊)から本作は「神秘の扉」と改題されるも、どちらのタイトルにしろ内容にぴったりフィットしていない。




『復讐鬼』(東京文藝社) 昭和30年刊 初刊本〈本書〉

『復讐鬼 他』(春陽堂書店/長篇探偵小説全集8) 昭和31年刊

『高木彬光集』(東方社/新編現代日本文学全集 第44巻) 昭和33年刊


これ以降、改題

『神秘の扉』(浪速書房) 昭和35年

 

 

ストーリーテリングでいえば本来なら郡司の一人称で通さねばならないところ、彼の立ち会っていないくだりがその都度三人称記述に切り替わる為、全体のバランスを崩している。せめて他の登場人物の手記・証言など上手く用いて乗り切るべきなのに、このやり方はいただけない。その上、謎の白髪鬼の正体が終盤明かされるに至り、本作を読んだ人はみな「???」と思われたのではなかろうか。ネタバレにならぬよう配慮して書くが、要するに白髪鬼=登場人物A=登場人物Bでしょ。前半で、あれだけ重く ✕✕ を ✕✕✕いた がどうやって Bに変身できたのか、不自然極まりない。

 

 

郡司は朝比奈悠子 刀自と息子の寿から小栗上野介の資料を整理して伝記を書くよう仰せ付かっている。だからといって忠臣蔵がどうとか第二次大戦中のヒトラーがこうとか、別に必要とも思えない歴史の喩えが頻繁に出てくるのもどうだろ?その他、松野警部は朝比奈福太郎の失踪時から長らく事件に関わっているのに、警察として何の役にも立っていない。探偵役が存在しない話とはいえ、もうちょっと松野警部を活かせなかったかな。とかくウィークポイントが多い作品だけども、白髪鬼が或る人物に罰を下す残酷な復讐の手段はオリジナリティーがあって良かった。「復讐鬼」という原題の意味はそこに帰結する。






(銀) 結局、高木彬光はひとりひとりのプロフィールを徹底管理できてなかったんだろうな。だから登場人物Aが登場人物Bに変身するほど激変ではないにしろ、何人か「あれっ、この人最初こんな感じだったっけ?」と戸惑ってしまうキャラクターがいたりする。本当は★一つでもいいぐらい、纏まりに欠けているのが実状。


「復讐鬼」(=「神秘の扉」)も論創社〝出す出す詐欺〟のネタにされていた。
五年前の証拠を挙げておく。





 

 

 





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2025年4月20日日曜日

映画『Dangerous To Know』(1938)

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KL Studio Classics   From『Anna May Wong Collection』  Blu-ray
2023年5月発売




★★   原案はエドガー・ウォーレスの戯曲「On The Spot」





エドガー・ウォーレスといったら代表作「正義の四人」どうこう以前に、かなり多作なイメージがあるけれど、私の場合「黄水仙事件」をはじめ小説数冊しか読んでいなくて、何の知識も無いに等しい。英語圏wikipedia情報によればウォーレスは1931年、あの犯罪王アル・カポネを題材にした戯曲「On The Spot」を手掛け、数ある舞台作品の中でも一際成功を収めたという。本日取り上げる「Dangerous To Know」は「On The Spot」の映画化と言えるもので、内容的にはクライム+メロドラマなのだが、その感想は後述する。




 




スティーブン・レッカは市政と財界の実力者。 このギャングの親玉の犯罪をなんとしてでも立証すべく、ブランドン警部は懐柔目的の賄賂を撥ね付け、動向に目を光らせている。
アンナ・メイ・ウォン(Anna May Wongの演じるマダム・ラン・インは他の誰よりレッカに近い存在だからか、自分のことをHostessと呼ばれようともさりげなく受け流す、そんな女だ。Hostessをストレートに訳すと女主人。体の関係こそ言及されないとはいえ愛人・情婦的な意味も含まれているだろうし、「私たち、友人だから」と言いクライマックスにラン・インが見せるレッカへの接し方には不思議と母性愛さえ滲む。




名家の令嬢マーガレット・ヴァン・ケースに目を付け自分の妻に迎えようとするレッカ。マーガレットには債権セールスマンの恋人フィリップ・イーストンがいて、さしもの犯罪王も意のままにならない。するとレッカは二人の与太者を雇い、銀行から218千ドルの債券を盗んだ犯人にフィリップを仕立て上げ、「あの男を救いたいのなら君は私の妻になるしか方法は無い」とマーガレットに迫る。制作された年代の違いもあるけど、エイキム・タミロフ演じるスティーブン・レッカは後年の映画『アンタッチャブル』でロバート・デ・ニーロが放っていた凶悪なオーラをあまり漂わせていないぶん、芸術や音楽を愛するソフトな面を持ち合わせている。




エドガー・ウォーレス原案ならミステリ映画として鑑賞できるのでは?と思われるかもしれないが、皮肉にもサスペンスで盛り上がる展開に一向なっておらず、観終わったあと印象に残るのはメランコリックな後味だけ。この映画に限ったことではなく、アンナ・メイ・ウォンの際立った存在感に対し、共演する俳優/脚本の質といったモロモロの要素が釣り合っていない。押さえるべきところを押さえていれば、私のような門外漢が観ても満足できる良質なメロドラマは作れる筈なのに。








画質は安心して観られるクオリティー。時間も70分と長くはない。犯罪とメロドラマの融合って1930年代には新しかったのかもしれないが、今観るとベタだね。日本で公開されていなさそうなマイナー映画を商品化してくれて、Blu-ray Box『Anna May Wong Collection』には感謝している。三枚組のうち「Dangerous To Know」が一番の売りみたいな扱いになっているものの、私はイマイチだった。なので今日は微笑むアンナの画像を多めにupしつつ終わりたい。

あ、スティーブン・レッカ役エイキム・タミロフの画像はupしなかったな。
本日の記事左上にあるジャケットにて一番大きく描かれているヒゲの男性がそれです。




 






(銀) 「On The Spot」は小説として日本で翻訳されていないばかりか、作品名さえ知られていないのでは?以前紹介した映画『King Kong』にしても小説化したのはエドガー・ウォーレス本人ではない。ウォーレス関連映画を記事にするのが二度目とはいえ、ラベル(=タグ)付ける必要無いよな・・・とも思ったけど、前回の『King Kong』と違って今回彼の名前を度々出している以上、やっぱりラベル(=タグ)は設定することにした。彼の作品を取り上げる機会、この先あるかなあ。
 
 

 

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映画『King Kong〈キング・コング〉』(1933)








2025年4月18日金曜日

『おかしな小説《ニッポン遺跡》』大下宇陀児

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養神書院
1967年10月発売



★  古色蒼然とした宇陀児作品のほうがいい




昭和418月、大下宇陀児逝去。その翌年刊行された遺稿長篇がこの『ニッポン遺跡』である。本書カバー袖にある星新一のコメントを見てもらいたい。 

〝大下先生の最後の作品、しかも、きわめて異色の作品である。ユーモアと風刺と警告と文明批評とでおりなした、わが国で珍しいタイプの小説といえる。

冷凍冬眠を試みたある日本の男が、六十七万年後に目ざめ、未来生物と交際をはじめるのだ。こっちは交際してやってるつもりだが、むこうは人間を調査しているのである。

そこに、さまざまな食いちがいと笑いとがうまれる。同時に、人間とはなにかという問題が浮かびあがり、迫ってもくる。

本書の副題は「おかしな小説」となっている。たしかに、おかしい。とんでもなさプラスまともさのおかしさである。しかし読んでいるうちに、おかしいのは現在のわれわれそのものじゃないかと気づくのである。未来という鏡にうつしてみると、現代や人間や文化といったたぐいは、こうも奇妙な形なのかと、あらためて、あきれる思いにさせられてしまう。〟

 

 

大正末期から活躍しているベテラン作家が戦後も探偵小説を書き続けた場合、風俗面もそうだし感性の世代間ギャップしかり、ネックになるのが時代とのズレ。だが作品の舞台を御一新以前の大昔、あるいは逆に未来の世界へ持っていけば、その問題は回避できる。宇陀児は時代小説こそ手掛けなかったけれども、未来には関心を抱き、SFテイストの小説を時折発表していた。「ニッポン遺跡」は決して晩年の作者に生じた突然変異な作品ではない。でもまあ、誰かに面白いか面白くないかと問われたら、アンサーは後者。もし褒められる点があるとしたら六十七万年後の話ゆえ、作者の老境ぶりを時代遅れと感じさせずユーモラスなメソッドで表現できていることだろうか。

 

 

この作品における超未来の世界は地球に地軸異変が起きたため既に人類は滅亡しており、ケール族/トリイ族/コオモリイ族といった生物が繁栄している。ところが六十七万年の時を経て冷凍状態にあった一人の人間(ニッポン人)が再び地上に現れ、なぜか日本語を喋っている未来生物たちと珍妙な交流を持つ。最終章、固く厚い氷の下に閉じ込められていたニッポンの地層に発掘隊が辿り着き、例のニッポン人が涙を流して遠い過去を懐かしみエンディングを迎えるものの、全体を通して筋らしい筋がある訳じゃなし、私など「11 売春とオンボー」の章だけ抜き出して何かの昭和風俗アンソロジーに再録したらいいんじゃない?と思ったぐらいだ。

 

 

文明批評もので真っ先に連想する探偵作家は海野十三だけど、「ニッポン遺跡」も戦前に書かれていたら20世紀初頭なりのアフォリズムが発信され、21世紀を生きる我々からすれば、より新鮮だったに違いない。昭和も中期になると新しい世代のSF作家がシーンに鎮座してるし、どうも分が悪い。やはり私はロマンティック・リアリズム/情操派の大下宇陀児が好きなので「盲地獄」「決闘介添人」「情獄」「奇怪な剥製師」「悪女」「不貞聖母」「危険なる姉妹」と同じ作者が書いているとは到底思えぬこの作品はちょっと肌に合わない。まだ「女性軌道」(☜)のほうが再読を欲する気持ちになれる。





ただ、「本格志向」「名探偵の存在に頼る作風」を厭った宇陀児の遺作がこのような内容に行き着く流れはわからんでもない。星新一/筒井康隆的な小説が好きな人なら自然に受け入れられると思う。





(銀) 巻末収録「大下氏の遺稿」にて中島河太郎は〝晩年の宇陀児は作品の選別を行い、戦後のエッセイを整理していた様子があり、あるいは選集の計画でもあって、その中の一巻に「ニッポン遺跡」を充てるつもりだったのかも・・・〟と述べている。本書の二ヶ月後、同じ版元の養神書院より随筆集『釣・花・味』は刊行されたが選集の企画は立ち消えてしまったのか、宇陀児の死後三十年の間、彼の功績が顧みられる機会は訪れなかった。

 

 

 

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『放火地帯』大下宇陀児  ★★★★  宇陀児の手癖も見えてくる  (☜)





2025年4月14日月曜日

『妖花』橘外男

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名曲堂
1950年8月発売



★★★★  最終章で殺されていた美女は誰だったのか?





書影の帯を見れば「原名〝長春より引揚げて〟=(妖花ユウゼニカ物語)」とあり、
表紙と背表紙は「妖花」、扉頁は「妖花ユウゼニカ物語・・・・長春より引揚げて」、
標題紙は「妖花 ―原名・長春より引揚げて-」
そして奥付のクレジットは「妖花ユウゼニカ物語」(上の巻)
作者はどれを正式なタイトルにするつもりだったのだろう?

 

 

1940年代の前半、橘外男は満洲に移住、そこで家族を養っていた。戦争が終わり内地に帰国後、当時の体験を虚実綯交ぜにした体(てい)で、『週刊朝日』に連載した作品がコレ。作中、ミスター・タチバナの勤務先は満洲映画協会、いわゆる満映ではなく、〝北映〟と書かれているが、満映の花形スター李香蘭については「香」でなく現地風に「馨」の字を使い、其の儘〝李馨蘭〟と呼んでいる。ま、李馨蘭は物語に出てこないからどっちでもいいのだけど。

 

 

中国人部落跡の廃墟から無惨な死体が発見される。その骸の主は、白系露人組合長として威勢を振るっていたウザン・トリヤスキー。大男ながら彼は立木に針金でがんじがらめに縛られ、刃物か何かで心臓を一突き、しかも額に打ち込まれていたの線路用の太く大きな犬釘だった。同様に胡散臭い満洲浪人・諸岡もまるで晒し者のような殺され方をする。この血腥い殺人事件が発生するに至るまで、長春でビジネスを成功させ美しい二人の娘を持つ露西亞人エカティシァンは寿命が縮むほどの苦悩を強いられていた。

 

 

橘外男に正当派の謎解きを期待する人など、まずおられまい。
もとよりタイトルにBeauty Assassinの名が織り込まれているし、読者がみな序盤早々に感付くのは当然だから、ある程度ネタを明かした上で話を進めるけれど、橘外男=ミスター・タチバナはエカティシァンと懇意な仲になり、彼の身の上に起こる数々の災難話を聞かされてゆくうち、例の陰惨極まる殺人事件へ辿り着く、そんな構造になっている。エカティシァンの災難とは上の娘メルセーニカがトリヤスキーに強姦され、順調だった事業までもトリヤスキーの妨害で立ち行かなくなるというもの。むろん倒叙ではないにせよ、トリヤスキーと諸岡の処刑に向け、一連のくだりがジリジリとねちっこく描かれる。

 

 

この題材、橘外男以外の作家だったら半分、いや、それ以下の分量で書き上げてしまうだろう。本来ならばエカティシァンの怒りと苦しみに絞ってストーリーが進むべきところ、日本軍への(橘外男の個人的な)怒りが全体の構成を歪めてしまいかねないぐらいぶちまけられ、面白くはあるけど諄い。下巻まで書くつもりだったそうだが、この先どのような展開に?最終章でトリヤスキーや諸岡そっくりに殺されていたのは果して誰か解らずじまいに終わってしまうとはいえ、これはこれでアリというか、上巻だけで終わって結果オーライにも思えた。




(銀) 橘外男の「後書」を読むと、フィクションではなく、まるで本当にあったことのような口振り。実際満洲にこれほど鮮やかな殺人をやってのける集団がもしいたら関東軍の悪行どころの騒ぎじゃないよ。このいかがわしさが橘の困ったところでもあり魅力でもある。

 

 

 


2025年4月11日金曜日

映画『Drifting〈妖雲渦巻く〉』(1923)

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Kino Classics    Blu-ray
2014年7月発売



★★★   ブレイク目前のアンナ・メイ・ウォン




本盤にはDriftingのカップリングとして、同じ年に(1923年)公開されたWhite Tigerも収録。主演プリシラ・ディーンと監督トッド・ブラウニング、両者のコラボレーションを打ち出すため、メーカーはこのようなカップリングにしたのだろう。アンナ・メイ・ウォン(Anna May Wongの出演は「Drifting」のみ。どうせプリシラ・ディーン&トッド・ブラウニングを売りにするならアンナも出ている「Outside The Law〈法の外〉」(1920年)と組み合わせてくれればよかったのだが・・・そういう訳で、今回「White Tiger」の内容には触れていない。どちらとも 米Universal Pictures 配給のサイレント映画。

 

 

Driftingでアンナが演じるのは麻薬密売組織を牛耳るドクター・リーの愛娘ローズ・リー。インタータイトルに最も美しい存在と紹介されるものの、見た目の幼さはまだ残っている感じ。この時アンナ18歳、劇中のローズ・リーは15歳の役柄。アンナの知名度をグッと押し上げたのが1924年公開の「The Thief Of Bagdad〈バグダッドの盗賊〉」だとしたら「Drifting」はまさにブレイク目前の作品と言えよう。

 

 

【 仕 様 】

リージョン:ABC(日本のBDプレーヤーで再生可能)

本編:84

 

【 画 質 】

100点中82点。
東欧に残存していた35mmフィルムをベースにレストアしているようだけどもマスターの損傷は激しかったらしく、状態の良いリールを継ぎ接ぎしたり現場の苦労が伺える。その甲斐もあって私みたいな映画にうるさくない人間が鑑賞するぶんにはノー・プロブレム。

「White Tiger」のほうはもっとノイズが多く、白黒画面のまま染色処理はされていない。 

 

【 特典コンテンツ 】

プリシラ・ディーン&トッド・ブラウニング監督による、
Lost FilmThe Exquisite Thief」のフラグメント(10分)

オーディオ・コメンタリー








【 ストーリー 】

キャシー・クック(プリシラ・ディーン)は上海で阿片の密売をしていて、商売敵ジュールズ・レピンと手を組み販路を広げようとするも、仕入れたはずの阿片が届かないトラブル発生。親友のモリーは阿片中毒に陥りベッドから動けない状態だし、キャリーはこんなヤバい仕事から足を洗ってモリーと一緒にアメリカへ帰ろうと決心する。その為には まとまった金が必要なのだが、競馬で一攫千金を狙って大敗。こうなると阿片の行方を突き止めるしか手立ては無く、キャシーは芥子の実の産地である杭州の村へ向かう。

 

 

村には廃坑再開のため単身派遣されてきたというアーサー・ジャーヴィス隊長がいたが、それは表向きの顔。彼は麻薬密売組織の巣窟を調査する政府のエージェントだった。キャシーは名前も職業も偽りジャーヴィスに接近、ところが麻薬密売業の邪魔でしかないこの男の人柄に惹かれてしまう。片や阿片の元締めドクター・リーもジャーヴィスの正体を怪しんでいる。ジュールズ・レピンはドクター・リーと合流、ジャーヴィスに賄賂の条件をちらつかせ、麻薬密売を見逃してくれるよう要求するものの、正義感の強いジャーヴィスは受け入れる訳がない。追い詰められた阿片栽培一味はついに暴動を起こし、村に襲いかかる。




キャシー・クック(プリシラ・ディーン)




ローズ・リー(アンナ・メイ・ウォン)
ジャーヴィス隊長は父ドクター・リーの敵でありながら、
ローズは彼に夢中。




アーサー・ジャーヴィス(マット・ムーア)
二人の女性に恋心を抱かれるほど、
カッコイイとも思えないのだが・・・。




常々ジャーヴィスを威嚇し、村から立ち退かせるべく、
阿片栽培一味が打ち鳴らしている気味の悪い太鼓。
残念ながらサイレント映画なので、その音を聞くことはできない。




暴徒が村を襲撃するクライマックスは盛り上がって良いのだが、よく考えたらジャーヴィスのみ隠密に殺してしまえばいいものを、わざわざ村ぐるみ襲う理由がわからん。そもそもこの映画、脚本にあった部分を編集でカットしてしまったのか、前後関係あやふやな箇所多し。例えば結末にてローズ・リーは死んでしまったっぽい。アンナ・メイ・ウォンの見せ場とはいえ(欠落した場面がある風でもなく)流れ弾を喰らったのか、火災で一酸化炭素中毒になったのか、視聴者は首を傾げつつ想像するしかない。昔の映画は独特の美しさが魅力な反面、説明を端折りすぎてるもの少なからず、痛し痒しである。





プリシラ・ディーンは当時売れっ子だったというけど、このキツイ顔立ちは好みじゃないなあ。それに他の作品ではどうだか知らないけれども、「Drifting」での彼女は豊満というより下半身がやたら重そうな女性に見える。中国が舞台ながらアメリカでセットを組んで撮影しているのはいつもの事。だとしたら村のシーンとか、ロー・バジェットでは済みそうにない制作費が掛けられている筈。私もそうだったが、初めて本作を観た人はてっきり中国で撮影したと思い込むに違いない。






(銀) 「Drifting」の出演者+スタッフ・クレジット、そしてインタータイトルの部分は原版の字体に限りなく寄せて再構築している。アンナ・メイ・ウォンの出演映画はLost Filmと云われているものが多く、残存はハッキリしていても未だソフト化されていない作品だらけ。本作ぐらいの画質なら十分OK、もっといろいろ観ることができると嬉しいのだが。




 


2025年4月9日水曜日

「乱歩あれこれ(伊和新聞連載版)」中相作

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伊和新聞
2024年6月~2025年3月連載



★★★  デキる人を世間は放っておかない




三重県名張に拠点を置き、毎週土曜日発行されるタブロイド判両面一枚の地方紙『伊和新聞』。そこで昨年六月より中相作は乱歩あれこれ」を連載していたのだが、『伊和新聞』は九十八年の歴史にピリオドを打ち、三月末をもって休刊。それに伴い「乱歩あれこれ」も終了することとなった。




この連載、近い将来一冊の形に纏められるのか、あるいは河岸を変え、どこかの媒体にて再始動するのか、今は不明。ただ伊賀地域・奈良県ローカルの新聞ゆえ、当該地に住んでいない人は氏がこのような連載を続けていたことに気付いていない可能性もあり、このまま時が経つと忘れ去られてしまうかもしれない。そうならぬよう、各回の副題だけでも当Blogに記録しておきたいと思った。江戸川乱歩研究家と郷土史家、二つの顔が中相作にはある。『伊賀一筆』や『うつし世の三重』とも重なる乱歩と三重県(=名張市)の繋がりを主題に執筆された「乱歩あれこれ」。笑いの要素はほぼ無し。




〈1〉  乱歩じまい始めました             令和646日号
〈2〉  Kさんによる乱歩谷崎比較           令和6413日号
〈3〉  市立図書館建設促進運動           令和6420日号
〈4〉  川崎秀二が乱歩文庫提唱                          令和6427日号
〈5〉  反響を呼んだ講談社版全集          令和6511日号



〈6〉  幻に終わった乱歩記念館           令和6518日号
〈7〉  市立図書館の乱歩文庫            令和6525日号
〈8〉  自伝に見るふるさと名張            令和661日号
〈9〉  大正三年夏 川崎克と乱歩                        令和668日号
〈10〉先生と呼ぶ唯一の人                              令和6615日号



〈11〉無断退職して伊豆を放浪             令和6622日号
〈12〉東京から大阪 さらに鳥羽へ           令和6629日号
〈13〉島の女先生と手紙を交換              令和676日号
〈14〉古本屋からラーメン屋へ               令和6713日号
15〉職を求めて川崎克を頼る               令和6720日号



〈16〉お役所勤めは長つづきせず                           令和6727日号
〈17〉しくじり重ね位牌にお詫び               令和683日号
〈18秀二が勧めた参院選出馬               令和6810日号
〈19〉推理作家協の協賛で講演会              令和6824日号
〈20〉乱歩イベントあれこれ回顧                             令和6831日号



〈21〉生誕130年記念事業概要              令和6914日号
〈22〉津藩に仕えた平井家七代                       令和6921日号
〈23〉岸宏子さんの「不熟につき」                       令和6928日号
〈24〉影絵で描いた名張藤堂家                       令和6105日号
〈25〉名張のまちでどう生きるか                   令和61012日号



〈26〉上野に住んだ平井家三代           令和61019日号
〈27〉名張を舞台に「乱歩誕生」                       令和61026日号
〈28〉伊豆伊東で見つけた祖先            令和6112日号
〈29〉津藩の殿様に水をかけた娘          令和61112日号(ママ)
〈30〉乱歩生誕地碑除幕六十九年          令和61123日号




〈31〉冷川御前と四代藩主高睦                        令和61130日号
〈32〉新たに結んだ藤堂家との縁           令和6127日号
〈33〉日本推理作家協会賞報告           令和61214日号
〈34〉57歳で訪れた生家の跡地           令和711日号(ママ)
〈35〉平井家七代 陳就の生涯                  令和7111日号




〈36〉平井分家初代 繁男の生涯            令和7118日号
〈37〉平井繁男長男 太郎の誕生              令和7125日号
〈38〉祖先と生地 発見の奇縁                  令和721日号
〈39〉生誕地碑と二銭銅貨煎餅                                 令和728日号
〈40〉初心に戻ってインタビュー              令和7215日号




〈41〉死にそうになった思い出             令和7222日号
〈42〉乱歩邸の蔵に入った思い出               令和731日号
〈43〉目録三冊が完成したので                令和738日号
〈44〉蔵びらきからまちなか再生            令和7315日号
〈45〉細川邸整備と乱歩記念館             令和7322日号




〈46〉宣言症候群に便乗して終了            令和7329日号





乱歩じまい進行中と言いつつ、いまだ御本人は江戸川乱歩について考察したいテーマをお持ちのように見受けられる。それは書籍の姿に昇華され、我々のもとへ届くだろうか。お台場のテレビ局ほど地に落ちてしまった探偵小説の業界で、唯一私が楽しみに待てることと言ったら中相作の仕事だけだ。





(銀) 前にどこかの記事で書いたかもしれないが、『探偵小説四十年』ばりの超大作でなくていいから、中相作自伝みたいなものも読んでみたい。若い頃の読書体験、父君のこと、秋田實や笑いのこと・・・でも人外境主人は大変慎み深いので、実現は相当に難しい。誰か氏をその気にさせる勧め上手な人はいないものかな。






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