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名曲堂
1950年8月発売
★★★★ 最終章で殺されていた美女は誰だったのか?
書影の帯を見れば「原名〝長春より引揚げて〟=(妖花ユウゼニカ物語)」とあり、
表紙と背表紙は「妖花」、扉頁は「妖花ユウゼニカ物語・・・・長春より引揚げて」、
標題紙は「妖花 ―原名・長春より引揚げて-」、
そして奥付のクレジットは「妖花ユウゼニカ物語」(上の巻)。
作者はどれを正式なタイトルにするつもりだったのだろう?
1940年代の前半、橘外男は満洲に移住、そこで家族を養っていた。戦争が終わり内地に帰国後、当時の体験を虚実綯交ぜにした体(てい)で、『週刊朝日』に連載した作品がコレ。作中、ミスター・タチバナの勤務先は満洲映画協会、いわゆる満映ではなく、〝北映〟と書かれているが、満映の花形スター李香蘭については「香」でなく現地風に「馨」の字を使い、其の儘〝李馨蘭〟と呼んでいる。ま、李馨蘭は物語に出てこないからどっちでもいいのだけど。
中国人部落跡の廃墟から無惨な死体が発見される。その骸の主は、白系露人組合長として威勢を振るっていたウザン・トリヤスキー。大男ながら彼は立木に針金でがんじがらめに縛られ、刃物か何かで心臓を一突き、しかも額に打ち込まれていたのは線路用の太く大きな犬釘だった。同様に胡散臭い満洲浪人・諸岡もまるで晒し者のような殺され方をする。この血腥い殺人事件が発生するに至るまで、長春でビジネスを成功させ美しい二人の娘を持つ露西亞人エカティシァンは寿命が縮むほどの苦悩を強いられていた。
橘外男に正当派の謎解きを期待する人など、まずおられまい。
もとよりタイトルにBeauty Assassinの名が織り込まれているし、読者がみな序盤早々に感付くのは当然だから、ある程度ネタを明かした上で話を進めるけれど、橘外男=ミスター・タチバナはエカティシァンと懇意な仲になり、彼の身の上に起こる数々の災難話を聞かされてゆくうち、例の陰惨極まる殺人事件へ辿り着く、そんな構造になっている。エカティシァンの災難とは上の娘メルセーニカがトリヤスキーに強姦され、順調だった事業までもトリヤスキーの妨害で立ち行かなくなるというもの。むろん倒叙ではないにせよ、トリヤスキーと諸岡の処刑に向け、一連のくだりがジリジリとねちっこく描かれる。
この題材、橘外男以外の作家だったら半分、いや、それ以下の分量で書き上げてしまうだろう。本来ならばエカティシァンの怒りと苦しみに絞ってストーリーが進むべきところ、日本軍への(橘外男の個人的な)怒りが全体の構成を歪めてしまいかねないぐらいぶちまけられ、面白くはあるけど諄い。下巻まで書くつもりだったそうだが、この先どのような展開に?最終章でトリヤスキーや諸岡そっくりに殺されていたのは果して誰か解らずじまいに終わってしまうとはいえ、これはこれでアリというか、上巻だけで終わって結果オーライにも思えた。
(銀) 橘外男の「後書」を読むと、フィクションではなく、まるで本当にあったことのような口振り。実際満洲にこれほど鮮やかな殺人をやってのける集団がもしいたら関東軍の悪行どころの騒ぎじゃないよ。このいかがわしさが橘の困ったところでもあり魅力でもある。