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書肆銀月亭 沢田安史(編)
2025年5月発売
★★★★ 「尽きせぬ喪失感」と「怨霊の呪い」
「翹望(ぎょうぼう)」。〝物事の実現を強く待ち望む〟という意味だそうな。この知られざる橘外男長篇は日中間の戦闘が激化していた昭和14年、幾つかの地方新聞へ掲載されたまま単行本には纏められず、八十六年の歳月を経て今回ハンディな文庫の形で待望の書籍化。以前私は日本の風土に根差した橘作品を愛でるにあたり、〝線香を焚きながら読みたい〟(☜)なんて呟いたけれど、本作こそまさしく「線香小説(勿論そんな用語は無い)」とでも呼びたいぐらい、極めつけの哀話なのである。
🕯 病床の父が逝去し、二親とも失くした松本美津子・英一姉弟は父の親友・楠瀬浩平の家に引き取られることになり、住み慣れた片田舎の大村(長崎)を離れ牛込(東京)へ。その新しい環境は二人に温かく、中でも楠瀬家の次男・利樹の軍人らしいざっくばらんな明るさに英一は兄同然の親しみを覚える。だが寸善尺魔とでも言おうか、奸悪な長男の俊平がいやらしく美津子に付き纏い始め、それをどんなに美津子が嫌がっているか周りは知る由もない。事を荒立てたら楠瀬家の体面を汚してしまう・・・思い悩んだ挙句、美津子は夜逃げさながら英一を連れて大村の実家に帰る。
しかし、それ以上の凶事が姉弟を待っていた。こっそり大村まで追いかけてきた俊平に美津子は凌辱され、英一も元来抱えていた持病が悪化。絶望の果て、美津子は英一ともども夜の海に身を投げる。幸か不幸か、英一だけ奇跡的に助かり、利樹の看病の甲斐もあって彼の身体は少しづつ回復に向かう。死を選んだ美津子がどれだけ自分を慕っていたか、英一から聞かされた利樹は生涯妻を娶らないと誓い、英一と暮す家を逗子に建てるため一旦帰京。
その頃、長年松本家に仕えている藤造爺やが訥々と英一に語り聞かせていたのは、この家を代々呪う怨霊の存在だった・・・。
松本姉弟に降りかかる悲劇だけ見れば、戦前の民情・道徳観を考えるとありがちな題材に過ぎず特段ビザールな隠し味も無さげ。にもかかわらず、背脂ギトギトのラーメン並みに物語の密度は濃い。こういう小説なら当時いくらでもあったはず。それが橘外男の手に掛かると何故ここまで面白くなるのだろう?
加えて「翹望」というタイトルは誰が何を強く待ち望み、どんな意図を込めて作者はこの言葉をチョイスしたのか、ふと考えてしまう。というのも、本書353頁にある連載開始を目前にした「作者の言葉」を読む限り、戦場で斃れた英霊に思いを馳せる・・・そんな内容の予告に受け取れるからだ。
終盤、恋人を奪われた小姓の因縁話がクローズアップされる迄は伏線なんて毛筋ほども無かったところ、いきなり怪談モードに切り替わって戸惑いを覚えたのも事実。ここまでの流れは全部、松本左衛門尉一族を孫子の代まで祟る怨念を描く為の前置き?でもそれだと「翹望」というタイトルにそぐわなくなりはしないか?
思えば、本格的に作家として橘が世に出たのは、この新聞連載の三年前。頭の中の構想を具現化して原稿用紙に落とし込むスキルがまだ未熟だったとしたら、後発の怪奇長篇と異なり「翹望」の終盤がなんとなく竹に木を接いだ印象を与えるのも致し方ないことなのかもしれん。ただ完結時における作者の挨拶文「終りに一言」を読むと、煙に巻くような発言してるんだな、これが。
〝「終りに一言」
此の小説を書いている間に、私は英一といふこの少年も姉や利樹さん達の後を追ふて不帰の客となつたことを知りました。そして利樹さんは既に一年有半の昔、北支の野に壮烈なる戦死を遂げてゐられるのです。これ等の幽魂のためにも私は、この小説だけは何としても完結してしまはなければならぬ或る一つの責務を感じています。
しかし始めて(ママ)新聞に筆を執つた素人の悲しさ、分量の推測を誤つて到底新聞社との約束の回数位では納まりさうにもありませんから、一先づ前篇のケリの付いたこの辺で筆を措かせて貰ひます。
許されるならば、近い機会、必ず筆を新たにして、後篇を以て読者諸君に見(まみ)えたいと思ひます。
杜撰な私の仕事っ振りで御迷惑を掛けました段、読者諸君にも新聞社の方々にも謹んでお詫び申上げます。〟
〝不帰の客となつたことを知りました。〟〝戦死を遂げてゐられるのです。〟とか他人事みたいに言ってるけど、アンタの作り上げたフィクションじゃないの? かくも先の展開をちらつかせておいて、続きを書かずほっぽり出したパターンは「妖花」(☜)も同じ。でもまあ本書解説にて谷口基が述べているように長崎を舞台にした橘作品のうち、死せる者への思慕や喪失感をテーマにした短篇の「幽魂賦」(昭和13年発表)と、似たような舞台設定で怨霊復讐譚として描かれた長篇「山茶花屋敷物語」(昭和26年発表)、この二作の橋渡し的な意味合いを持っているのが「翹望」であるのは確かだ。
本作が担っていた主題は最初から〝喪失感〟だったと考えるのが自然な気がする。ならば、どういう訳で橘外男の脳裡に怨霊ネタが鎌首を擡げてきたのか、この作家の本質を読み解く一つの鍵がそこにありそう。
今回の文庫は「翹望」だけでも大満足なのに、短篇「恋愛異変あり」も併録。強いて言うなら、紙面のスペースいっぱいにテキストを印刷しているため余白が殆ど無く、ノドに近い文章は本を強く開かないと読めない。想像するに、これ以上文字を小さくすれば高齢者中心のユーザーから字が小さいのなんのと文句を言われるし、逆に文字を大きく取ったら取ったで頁数が増すぶん、コストが掛かって価格もアップせざるをえず、それでこうなったんじゃないかな。結果、紙面の見映えはあまりキレイじゃなくなったけど、ほぼ満点に近い★4つ。
(銀) 発行部数がそれほど多くないのか、この本を入手できずお嘆きの方がいらっしゃると耳にした。せっかく珍しい小説を発掘したのだから、読みたいと思っておいでの方になるべく行き渡るよう一考してもらえないだろうか。橘外男クラスなら商業出版でも売れると思うし、どこか良識のある出版社から「翹望」が出ていたら本当は良かったのだけど、諸事情あって同人出版を選択したのかもしれず、本書の増刷でも構わない。買えなかった人のポストを肴に「X」ではしゃいでいる一部のアホを喜ばすため、この本作ったんじゃないですよね沢田さん?