1930年代デビュー、キャリア的にこれからという時、日本が戦争一色となり、終戦を迎える前に異国の地で命を落としてしまったという境遇において、蘭郁二郎と大阪圭吉は非常に似ている。作風こそ全く違えど大阪圭吉ばかりが再評価され、蘭郁二郎の新刊が出そうな盛り上がりが見られないのはゆゆしき事なり。そんな現状の風向きが少しでも変わるよう、懐かしいこの傑作集を振り返ってみた。
「夢 鬼」
言わずと知れたマスターピースともいうべき中篇。これ、最後まで曲馬団内の話で終わってたらもっと貧しくジメジメした内容になりそうなところを、曲芸事故で片輪になった鴉黒吉の新たな就職先にパラシューターという当時はモダーンだったであろう職業をあてがうことで、内向きの性格な上に容貌の醜いこの少年の悲惨な最期を鮮烈なクライマックスへと演出できたのが立派。
「歪んだ夢」
かなり初期の作品で、『秋田魁新報』の夕刊に連載された短めの作品。 その後「縺れた記憶」「恐しき写真師」「鉄路」「自殺」も同新聞に発表している。蘭は東北在住でなければ地方新聞から仕事がくるほどの成功もまだ無いのに、何故この新聞に小説を掲載してもらえたのだろう?何か伝手でもあったのか? 参考までに『秋田魁新報』は歴史のある新聞で、蘭が作品を発表した頃は既に東京支社もあったという。
「夢鬼」同様、ここでも主人公は予知のような夢を見ており、唯一の友達をも催眠の夢世界へ誘おうとしてドラッギーなマインド・トリップを図る。
「魔 像」
職に困っていた寺田洵吉は浅草公園で旧友の水木舜一郎と行逢い、異様な写真アートに没頭している水木の家に同居させてもらい、彼の奇妙な作業を手伝うこととなった。水木の最終目的とは果して?
「蝱の囁き ―肺病の唄―」
薬臭そうなサナトリアムにおける肺を病んだ二組の男女。病人目線で見る、匂い立つような女性のフォルムの描き方が素晴らしい。片や、一瞬の吐血シーンもリアル。昭和12年あたり迄の蘭は『探偵文学』とか同人誌への作品発表が多かった。
「白金神経の少女」
「夢鬼」の悪女・葉子「蝱の囁き」のマダム丘子といった生々しい血の通った女性像から、ヒンヤリして滑らかな人工的女性像、要するに蘭の表現が科学系小説へと変わっていく過渡期の作品ゆえ、引っ繰り返すオチをちゃんと用意している。
「睡 魔」
街の市民をある方法にて眠らせてしまうSFタッチに加えて対峙すべき敵国を意識させる部分も。ここからは春陽堂が当時出していた雑誌『ユーモアクラブ』に掲載されたものが増え、その雑誌の性格ゆえかシリアス一辺倒ではなく、本書前半収録作には無い明朗さも見え始める。
「地図にない島」
これも「睡魔」と同路線。海岸で望遠鏡を覗いていた中野五郎は、長年行方不明だった元研究者の叔父が乗っている白亜船をレンズの中に発見する。こっそりその船に潜入した中野は内地から遠く離れた謎の科学の島へ連れていかれ・・・・。ヒロイン小池慶子は生身の美しい少女だが、その島には幾人もの ❛ 慶子たち ❜ が・・・・。
「火星の魔術師」
前述の「地図にない島」では複製人間つまりクローンの概念はまだ存在していないが、異常なる花・野菜・果物を作り出す為に、ここでは細胞の染色体を操って作物を進化させる(『ウルトラQ』を先取りしたような)アイディアを展開。
「宇宙爆撃」
未発表作。よってこの作は今のところ本書でしか読めない。太陽系に訪れる原因不明の磁気嵐や謎の大彗星は、宇宙外にいる超大巨人が起こしている実験のひとつではないのか? というあまりにも壮大な想像。作品としての出来は並レベルだが、この原子を扱うテーマは当時にしては斬新なのでもっとじっくり取り組んでいれば・・・と悔やまれる。
(銀) 令和の時代こそは蘭郁二郎の新刊がバンバン出てほしいものだ。豪華本が売りの藍峯舎にも蘭郁二郎を出してくれるようお願いしたい。ところで私が蘭郁二郎を好きな理由のひとつは彼の描く女性造形を見ると、戦前の日本にありがちな下っ腹がポッコリ出ていて手足も短そうな野暮ったさが殆ど感じられないから。
蘭郁二郎作品に登場する女性キャラはそれぞれタイプは異なっていても、旧い時代のギャップを読者に感じさせることが無く、男の脳髄を痺れさす妖しさを放っている。そして彼女たちの胸はきっとタプタプした品の無い巨乳なんかではなく、キュッと小ぶりでちょうどいい形をしているに違いない。