2020年7月10日金曜日

『火刑法廷』ジョン・ディクスン・カー/加賀山卓朗(訳)

2020年4月3日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

ハヤカワ・ミステリ文庫
2011年8月発売



★★★★★   ロジックと超常現象を餌にして、
               カーは読者を弄んでいるのか



江戸川乱歩の名作「陰獣」をお読みになられたことはどなたにもおありかと思いますが、読み手をどうにもモヤモヤした気分にさせるエンディングは発表当時から物議を醸しだしたものです。本格探偵小説として微に入り細に入り100%謎と秘密が解かれるものだとばかり思っていたストーリーが最後の最後になってスルリと大団円でなくなってしまったら、アナタはその作品をどう評価しますか・・・?

本作において、作者ジョン・ディクスン・カーが提示する主だった謎は次の四つ。



A 編集者であるエドワード・スティーヴンズが預かった作家ゴーダン・クロスの新作原稿。そこにクリップ留めしてあった写真に写っていた1861年に処刑された女毒殺魔の顔がエドワードの妻マリー・スティーヴンズに瓜二つだったこと。

 

B 病死と思われたデスパード家の当主マイルズの死因に 〝他殺〟の線が浮かんできたこと。

 

C マイルズの死の直前に家政婦ヘンダーソン夫人が偶然覗き見た、当主の部屋にいた謎の女。そしてドアの無い筈の壁から姿を消したその女は果たして生身の人間か?幽霊か? 

 

D 当主を継いだマーク・デスパードは叔父毒死の疑惑に駆られ、エドワード達を伴い法に背いて隠密にマイルズ叔父の霊廟を暴くが、そこに屍は無くて、再び幽霊説・秘密の抜け穴説に苦しむこと。

 

 

この長篇にカーのレギュラーである名探偵たち、HM/ギデオン・フェル/アンリ・バンコランは不在。では、この超自然的事件を誰が解決するのか?その点もカーの他の作と比べて不安心理を増幅させる。

 

 

ネタバレになるからどれがどうとは書けないが、AD のうち、ある謎はいつものように伏線が張られ、最後に「ああ、こういうトリックだったか」と感心するし、また別の謎は「略図ぐらい付けとかんかい!」と絡みたくもなる。ただ本作中、解決の瞬間に至るまで、現在進行形で発生する事件は B ひとつだけ。にもかかわらず、会話劇がよく書けており、息つく間もなく結末まで右肩上がりに盛り上がってゆくのが見事。 

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Amazonに常時居座っているレビュー業者のめくら満点評価と違って、よく読まれておられる他のレビュアーの感想の中で、今回の新訳に不満をもらしている方がある。私も翻訳小説の日本語としてもう少し消化できないかと首を傾げる点は若干あったし、巻末解説に一言申したい気持ちもあるが、カーの原作そのものは日本人探偵作家にはとても書けないビザールな造形美なのでの減点はしなかった。

 

 

(銀) 『推理小説月旦』にて、「名探偵・トリック至上主義の本格は好みではない」と斬っていた渋澤龍彦でさえ、本作については褒めていたのが印象的だった。これはつまり〝容疑者への事情聴取がずっと続いて登場人物が将棋の駒のように扱われる〟ような本格長篇の作風を嫌う人でさえも酔わしてしまう、怪奇ロマネスクの香りが本作には備わっている事を証明している。 

 

 

ただ、この手のエンディングは何度もやると鮮度が失せてしまう。一度っきりにしておくのが効果的なのだ。